7つの光の方へ

ブログタイトル変えました

爆笑問題太田さんの話と赤ちゃんと、母になった私と真夜中のLION

かなり昔、ラジオ番組で爆笑問題の太田さんが「コミュニケーション」について話していた。

この内容がとても印象深くて、私は時々思い返す。

曰く、コミュニケーションは発信者だけじゃなくて受け取り側もあって初めてコミュニケーションが成り立つ、というもの。

その中で一番覚えているのが、赤ちゃんは最大の表現者、話すことはできないけれど、泣いたり身体を使って精一杯表現する。お母さんもまた一生懸命赤ちゃんの表現を受け止めて気持ちを察しようとする。

言葉だけじゃなく体全体で発したものを理解しようと努力する事こそがコミュニケーションだ、というもの。

当時私に子供はいなかったけれど、この話がすごく好きでスマホにメモっていたほどだった。

 

このラジオを聞いた数年後、私は母になった。

私のもとに来てくれた赤ちゃんは、まーーー宇宙人。私がいないと死んでしまう、弱くて柔らかくてこれまでの人生で出会った中で最も尊い宇宙人(宇宙人と出会ったことはないけれど)。

伝えたい事はとにかく泣いて伝える彼とべったり数か月過ごすと、不思議と彼の泣き方の違いが分かるようになった。「お腹がすいた泣き」「不機嫌泣き」「おいどこ行ってんねん、はよボクの近くに来い泣き」など。

私は何度も太田さんの話していた「赤ちゃんと母とのコミュニケーション」の話を想った。赤ちゃんと対話することの難しさや尊さを思いだした。

 

そして、子どもがいると一人になれない事を知った。

育休中、とにかく赤ん坊が中心の生活、彼と常に一緒に過ごしていた。

起きているときはもちろん彼が眠っていても息はしているか、吐き戻しの海に溺れていないか気になって常に赤ん坊の事が頭にあった。「一人の時間が欲しいなぁ」といつも思っていたけれど、例えば夫に半日お守をお願いして一人で外出しても、息子の事が気になって即帰宅。

赤ちゃんとは常にコミュニケーションを発信する存在、それを否が応にも受信してしまう私、少なくとも赤ん坊が1歳になるまで私は孤独じゃなかった。孤独になれなかった。

前置きがむちゃ長くなってしまった。

私は真夜中のLIONという歌がとっても好きだ。

都会の喧騒、夜でも煌々としている街の片隅を孤独に歩いている「僕」が、やがて草原を悠然と歩くライオンに変わっていくような歌だ。

「僕」は孤独で、悲しみや苛立ちを誰とも共有できず、夜だけが共鳴してくれているように感じているのだろうか。

そして2番の冒頭にある「泣き止まない赤ん坊」という歌詞に、特に胸がときめくのだ。太田さんの言葉や、私自身の赤ん坊との対話を思い出して、たまらない気持ちになる。

歌の中で、赤ん坊の泣き声は「あんたは一人じゃない」と強く鳴り響くメッセージに感じてしまう。

真夜中のLIONは孤独な歌だけれど、一方で、どうしたって独りにはなれない条理みたいなものを強く感じる。

独りになりたい、誰とも分かち合えない、でも誰かに聞いて欲しい。

孤独になれないからこそ、誰かに伝えようともがいて、あるいは貴方の表現を理解しようともがいて、朝を迎え撃つのかもしれない。

「幽霊はここにいる」感想雑記

「幽霊はここにいる」完走おめでとうございます!

東京・大阪あわせて全34公演無事に終演まで迎えられたこと、本当に素晴らしいことだと思います。

キャストスタッフ関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。

 

私は1/14のソワレ公演に伺って来ました。

とっても面白くて、観劇後直ぐに感想をメモった。

まとめることを放棄した私のダラダラ雑記を良ければご覧あれ。

私はそんなに安部公房に詳しい訳では無いけれど、いくつか観劇したり戯曲・小説を読んだり数少ない安部公房体験はしている中で、

これこそが安部公房の世界観!って宣言されたような舞台で、とにかくずっと楽しくてわくわくして物語の展開に胸が苦しくなり笑い泣き、あっという間の3時間だった。

 

バケモノ・八嶋智人はじめ演者さん達が割とアドリブ多めに遊びまくってるのも楽しくて、

時代設定とかあんまり気にしなくてええんやなと気楽にワクワクしながら楽しんだ。

いやほんと八嶋智人ってすごい役者さんですね。

3時間本編終わったあとのカテコでもまだまだ絶好調で「ワー喉開いてんなあ」と思った。

直後に「まだ声出てます」って神ちゃんが突っ込んでたのも笑った。

 

以下、ダラダラと続きます。

 

【深川さんと神山さんのこと】

神ちゃん(深川)の事を。

汚らしい格好なのに誰にも汚されていないような無垢さと可愛らしさ、年齢よりもうんと幼い印象で。

 

やっぱり身体の使い方がとっても上手くて動きが素直、手振りがとっても雄弁で美しい。ずっと見とれていました。

彼が幽霊を見る時の心の底から愛おしいというような表情、幽霊の言うことは絶対と信じきった目、

その割に幽霊とのバックボーンが謎な感じが深川のピュアさと重なると一気に危うく感じて、

ずっとずっと幽霊はここにいることを信じきれない気持ちだった。

 

後半はどんどんと幽霊に乗っ取られているような姿、苦しんでいる姿に私まで苦しくて居たたまれない思いで見つめていた。

間に挟まれる面白シーンも苦々しく感じるほど。

 

結局おかしくなってしまったのは深川の方だったけれど最初に感じた「無垢」な深川のイメージ通りの狂い方だったな。

優しいからこそ狂ってしまったのか。

幽霊から解放された深川の顔を見て私まで心底ホッとした。

 

【演出のこと】

私は安部公房の「寓話感」「デストピア臭」がとっても好きなのだけど、本作も、埃の匂いのする寓話という感じで本当に好きだった。

コロスの演出、度々登場する雨傘やアコーディオンの音色、

勝手なイメージだけどイメージの中の安部公房って感じでそうそうコレコレ待ってました!ってウキウキした。

電柱・生きている人間・死んでいる人間・街の雑踏や世相、いろんなものを投影していたコロス、

中でも一番好きだったのは深川が幽霊と顔写真とを照合するシーンの歌とダンス。

神山君の圧倒的な歌とダンスもさることながらバックで踊る皆さんの姿がとても好きだった。

自分の顔を見つけられるかもしれないって喜ぶ幽霊たちの姿に見えて、幽霊たちがいとおしく私まで賑やかな気持ちになった。

砂の演出がとにかく好きだった。

粉々になった人骨みたいに見えてゾッとしたり、砂の上でバタバタ走り回ってる演者の姿が滑稽だったり虚しく見えたりした。

形がなくて、触るとサラサラ無くなってしまう砂が幽霊という存在に重なっているようにも

その上で生きている人間たちが幽霊の存在に躍らされているようにも見えた。

 

もうひとつ、電球も良かったなぁ。見ながらあれは何だろうとずっと考えちゃった。

最初は1つだけだったのに気づいたら3、4個と増えその後無数に垂れてきて、ゆらゆらと心許なく揺れる電球が幽霊の目みたいに見えたり

貧しくも暖かく実直な大庭母娘の象徴に見えたり、夜の星に見えたりした。

だけれど後半は全く電球が出てこなくなって、何故かあまり良くない予兆みたいなものを感じ取ったりしてしまった。

話の冒頭から登場したアスピリン、なんだか不吉な感触がずっと手の中にある感じがした。

(話に薬が出てくるとコレ何のメタファーすか?と考えちゃう)

深川が苦しむ間に砂が剥がされてレッドカーペットが出てくるシーン、深川の脳内が剥がれているような感覚になって痛かった。

とても辛くて、とても好きなシーン。

結局どんな世になっても、図々しく小狡賢く不安定な足元でも走り抜けていくような図太さを持った人達が強いのか、と大庭夫妻を見て思った。

幽霊が見えることにした2人、清々しさすらあった。

 

【ラスト】

戦争を想起させるラストだった。

見る人によって、とらえ方が違う終わりだったな。

私には「深川の前から消えた吉田の亡霊(本当の吉田ではないけれど誰からも見えなくなった幽霊のひとり)が

”幽霊たちが戦争の真似事をしているという海の向こう”に渡って行ってしまった」のかなという気持ちになった。

生きていても死んでいても同じことをしているのかな、虚しい。

 

【役者さんたちのこと】

芸達者すぎて贅沢タイムだらけだった八嶋智人さん最高。隙あらば遊びで埋め尽くす人。。

そしてぐんぐんと印象が変わっていく田村たがめさんも流石だった。この夫婦って転んでもタダで起きない顔してるもんね。

この二人が何でもありだから(かどうかは知らんけど)、他の演者さんも皆さん遊びタイムがあってとっても良かったな。

木村了さん演技うまぁぁあああ!

どうして喋っているだけで、動いているだけでこんなに心を掴まれるんだろう。

若いようでおっさんのようで、とっても表情のある声が超いい、台詞回しも完璧…ずっと聞いてたい。

飄々とした身のこなしもとにかく好きだった。

好きです。

ずっとずっと気になる役者さんのひとりだったまりゑさん、ようやく生で演技を観られてめちゃ感動。

動きや表情の作り方が目を引く、ずっと追いかけて見てしまう。好きです。

恋愛レボリューション21の振りとアンミカの真似してませんでしたか??

市長役の伊達暁さんが本当に好き。

コミカル曲者なおじ様役、こんな役やらはるんだ可愛いなあと思いながら目が離せなかった。

であった頃の伊達さんってなんだかもっと鋭利で危ない押井さんって感じだったの。

動きや表情の作り方がとにかく好き。好きです。

 

【最後に】

劇場に向かう道中、緑色のやつぬいを持ったかわいらしいお嬢さんたちの集団に遭遇し、

こんなお嬢さんの年齢で阿部公房の芝居に出会うんだな…と趣深い気持ちになった。

彼女たちの感想を、聞きたいな。

何十年も前の作品がこうして今、作品になること

それを若い人が見るということがとてつもなくエモいなと思った。

何年も前の作品でも今生きている人たちで作り上げるとやっぱり「今」の作品になる。

その窓口になっている神山智洋という人の存在のでかさが尊くて、また更に、神山くんを好きな気持ちが加速したのでした。

WESTくん秋の舞台まつりに思いを馳せて

2021年・秋以降、ジャニーズWESTのメンバーが出演する舞台ラッシュが凄い。検察側の証人、赤シャツ、ハロルドとモード、そしてLUNGS。

LUNGSは今東京公演ですね、観劇される方の反応がとても楽しみでわくわくしています。

この舞台ラッシュを過ごして、そして私も実際に観劇して思ったことが沢山あったので何とか言葉にしたくてこのページを書き殴っている。


私は検察側の証人・赤シャツ・LUNGSを観劇する機会を得たのだけど、初めてジャニーズWESTのメンバーの舞台作品を観て、改めてWESTの力を痛感したし、好きが益々増した。

作品として見応えのある素晴らしい作品なのはもちろん、そんな素敵な作品・素晴らしいカンパニーの中で遜色なく活躍するWESTの面々が凄かった。
想像していたよりもずっとずっと感動してしまった。
作風や規模感、スタイルもバラバラだったけど、どの作品も(私が想像していた)アイドルっぽさが少ないことにも驚いていて。
一流の舞台作品で、そして挑戦的なスタイルだったり作品の質が抜群に高かったり、だから役者としての期待値も要求も高い。

その仕事をきちんと全うしている皆さんの(もはや皆さん、と呼んでしまうな)役者としてのポテンシャルの高さを改めて知って、思い知らされて、本当に恐れ入った。
舞台の上で見る役者としての望さん、照史くん、神ちゃんは輝いていた。
真っ直ぐで誠実な瞳の裏にゾッとする顔を隠していた望さんのレナード。
照史くんの赤シャツ先生はこんなに可笑しくて可愛らしくて色っぽいんだ…と未だにドキドキしてる。
LUNGSの神ちゃんの体当たりで真っ直ぐぶつかってくる演技に震えたし涙が出た。
どの作品も、とても没入して楽しめたと同時に、役者としての彼らを、ああ、こうやって身体を動かすんだ、こんな声を出すんだ、こんな顔をするんだ、こんな風に泣くんだ…と思いながら見ていた。幸せな時間でした。
彼らはアイドルだけど舞台の上では役者だった。

こんなに色々な作品でジャニーズWESTのメンバーそれぞれが役者をしている事、一役者として舞台を全うしている事って当たり前じゃない。
彼らの役者としての素質が信頼されている証拠なのは勿論、何より我々ファンの鑑賞力や解釈する素質が信頼されているということもあるんじゃないかな。
ジャニーズWESTのファンって恐らく広い、めちゃくちゃ若いファンばかりじゃないと思う。色々な環境で生活する人がジャニーズWESTを応援してる。
そんな幅広いファン層だからこそ多様な作品を楽しめると、その力量を託されているんだとしたら、とっても嬉しい事。
(これは演劇作品に限らず、ドラマや映画にも言える事だけれど、それはまた別の話ですね。)


そして、だからこそ、もったいないな〜という気持ちも、ちょっと…すごくある。
WEST始めJの舞台ってほぼJのファンしか観劇しないんじゃないかな??
私の観劇した回数が少ないので他の舞台がどうなのか分からないけれど、Jの方の出演される作品ってなかなかのレアチケットですよね…?
どれだけ演劇的に質の良いものでも、作品に興味のあるJファン以外の方が気軽に見に行けない現状が勿体ないと感じてしまう。
Twitterで「お芝居好きな人が○○の舞台を観に行くとチケットの競争率上がるからチケット取らないで欲しい」と言うような呟きを見て、おおおい、ただ作品に興味があって観たい人だって居るに決まっておろう!!と荒ぶったりもした…。
舞台で推しを見たいと言うのも立派な観劇理由だというのも分かる。(私も好きな俳優さん目当てで舞台観に行くし)
私がこんなにモヤモヤするのって恐らく元々舞台が好きだからなのかな……頭では理解してるつもりだった。
でも、実際に会場に足を運ぶと客層がやっぱりJのファンばかりに見えて正直衝撃を受けてしまったし、(感じないようにしたかったけど)普通のお芝居とアイドルの出演してるお芝居ってやっぱり違うのかな…と感じてしまったのも事実。
勿論チケット即完なら興行としては大成功なんだろうけど、普通の演劇ファンの方に門戸が開かれていないのってやっぱりもったいない。さみしい。


そして、どれもめちゃくちゃ面白くて共演されてる俳優さんたちの演技も素晴らしいし何よりその中で演技してるWESTのメンバーの姿が眩しくて、そんな贅沢な時間なのに「自担を生で見れた!会えた!」と言う言葉だけを残している方をお見かけすると、きっともっと何か感じたことはあったはず、と思ってしまうこともあり。

……いや、もちろん観た人が個々に感想を持つのは自由だし感想警察をするつもりはないし(なんだよ感想警察って)、私が目にするSNSでの書き込みなんてほんの一部分なのも分かってるけど。モヤモヤしてる自分がいる。
 

その代わりとても嬉しい発見もあった。
敬愛して止まないフォロワーさん達がお芝居を観て素晴らしい感想や考察を文章にしてくださった事。
特にLUNGSはフォロワーさんに限らず本当に読み応えある考察に沢山出会えて感動した。
私はジャニーズWESTを好きになって初めてヲタ垢というものを作ったのだけど、ここで出会うジャス民各位のセンス、語彙力の高さ、考察力の凄さを目の当たりにして心底驚いたし大好きになった。
その熱量が演劇作品に向いた時、とてつもない語彙力で作品が語られるのがなんかもう凄く嬉しいし面白いし、その出会いに感激してる。
信頼のおける感受性やセンスの持ち主であるジャス民の皆様が作品を観るとこんなに様々に議論されるのか、雄弁に語られるのか、とただただ感嘆した。

いいぞもっとやれもっとくれ、もっと見たい。


私はただのイチ演劇ファン(しかも全然浅いし偏ったファン)で、ジャス民歴も短いし私が何かしら言うのはおこがましいって事は百も千も承知だ。
でも、願わくば、舞台を観劇したら「自担に会えた嬉しさ」ともうひとつでも何か得て帰っていたら嬉しいし、この舞台ラッシュをきっかけに観劇されたジャス民さんが「舞台って面白い」って感じていたら嬉しい。

どんどん舞台に出会って欲しいし感想を聞きたいし何を感じたか何を思ったか知りたい。
だってその日その時その会場でしか体験できない事をして来たんだ、羨ましい!
そしてそして非Jヲタの演劇ファンの人達にもJ舞台の門戸が開けばいいな〜とも思う。

私もジャス民になる前にJの方の舞台に出会っていたかったもん。

そしてそして、ジャニーズWESTの皆さんには是非ともこれからもたくさんの素敵な舞台作品に携わって欲しいし、私も素敵な作品にどんどん出会いたい。

 

んー、やっぱりおこがましいかな。

 

LUNGSを観ながらいつかの私を見ていた②

こちらの記事の続き

https://e-ju-yel.hatenablog.com/entry/2021/11/10/130211

🫁

2人のキャストについても書き留めておきたいな。
奥村さんの演じるW、とっても理知的でチャーミングでした。あんなに華奢な体のどこから?と言うくらいパワーが溢れていた。
Wの魅力がすごく伝わる演じ方だなぁと感じた。
 
そして神ちゃん。
実は、神ちゃんはもっと作りこんで演技をするのかなと勝手に思っていて。
しかもこの作品は翻訳劇だし舞台も海外のままなので、セリフの言い回しとか身振りも海外の人に近い。
だけど、思った以上に生々しくて、もっと根幹で演じてる!とびっくりした。神ちゃんの持つキャラクターとMの少しあどけなくて誠実なんだけどちょっと頼りない人間性がマッチしていて見事だった。

すごく魅力的でした。
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最後に。
観ながら私も色々な事を考えました。
気持ちがあちこちに飛んで、かつての気持ちを思い出したりした。
観た後に誰かと話したくなる作品だったし、
観劇した人の感想やレポをこんなに楽しめる作品に出会えた事が嬉しいです。


神山くん、奥村さん、そしてスタッフの皆さん、大阪公演お疲れ様でした。
東京公演も応援しています。

LUNGSを観ながらいつかの私を見ていた①

神山智洋さんと奥村佳恵さんの2人芝居「LUNGS」を観た。

あまりに圧倒された。

観劇前から「どうやら凄いらしい」という前情報を漏れ聞いていてそれなりに覚悟をして臨んだけれど、思っていない角度から刺さる事が多かった。100分を生き抜いた2人を見守りながら、私は自分の事を振り返る時間を過ごした。

 

観劇後、乱高下した気持ちを何件かTwitterに投稿したので、今回それをまとめるつもりでこの記事を書きはじめたんですが…書けども書けどもまとまらなくなってしまったので、これまでの投稿に追記するような形を取ろうと思います。

 

Twitterでの投稿はこんな感じ。

改めて読むと所々分かりにくいやら、まとまってないならでお恥ずかしい限りなんだけど、観劇直後のアッツアツな感想です。

 

 

以下はネタバレ有りの内容⚠️

 

恐らくこの舞台は観る人の性別、既婚未婚、子持ちか否か、親との関係などの環境などでも見方が全然違うだろうなと思う。

ちなみに私は既婚、経産婦です。

WとMのエピソードには共感するところや、私は違う考えだったなぁなんて思い返す事も多かった。

 冒頭の痴話喧嘩。子どもが欲しいと言うMの気持ちは理解できるけれど、それよりもWが抱える不安感、人1人を育てる覚悟を持たなくてはいけない気の重さ、痛いほど分かるなあと感じた。

性差によって生じてる認識のズレをきちんと議論してる(喧嘩?夫婦漫才?)2人を見て圧倒されたけど好感が持てたし、すごく海外的だなと感じた。

日本人ってここまで突っ込んだ話をしない事が多い気がする。

そして子どもを持つことを躊躇っていたWが子作りに前向きになる些細なきっかけになるシーンが好きだった。

デート中に周りを見て、ベビーカー連れの人が多いと気づく一瞬。一方でMはショウウィンドウにうつる自分の顔を見て「ヒゲを生やそうかな」と呟いていた(後に生やしてて笑った)。

意識した途端、街にこどもや赤ちゃんが沢山いることに気付くんだよなあ。あとマタニティマークをつけてる人にも目がいくようになる。そして男性は見事に気付かない。その感じがリアルだった。

 

そして、流産してしまうシーンでは私は鬼のように泣いた。

私は流産の経験はないけれど、子どもを持つ選択をしてから授かるまでに少しだけ時間がかかった、不妊治療の経験者です。

私も結婚したら直ぐに子供を授かれるもんだと思って疑わなかった。

でも、現実は違ったなあー。

他の人たちが結婚してしばらくすると当然のように赤ちゃんが出来るのに(当時の私にはそう見えていた)、一方で私は、なかなか授からなくてお金を払って検査をし、仕事を早退して治療をし、体質改善を図ってヨガに通ったり。

LUNGSの2人ほどではないけれど、子どもを持つことについて夫と話し合ったり喧嘩になった事もしばしばだった。
この時覚えてるのは「あなたが赤ちゃんが欲しいなら頑張って赤ちゃん作ろう」というような事を言われた事だった。

嬉しい言葉なのかな…?

けれど私には、子どもを持つ選択の責任を丸投げされた言葉に思えてしんどかった。

私が諦めたら四方八方丸く収まるのか、私が子どもを持ちたいと思う事は我儘な事なんだろうか?どうして私は子どもが欲しいんだろう…と度々考えていた。

この、子どもを持ちたいと言う気持ちに2人の中でズレがあること、男側が寄り添うしかできないもどかしさがLUNGSでも度々描かれていて胸が苦しかった。

流産をしてしまったシーンでは、Wはまた好きな事が出来る、自由になった!と強がったあと孤独にその悲しみを抱え込む。

Mはきちんと寄り添おうとしているのは分かるんだけど、どうしても「寄り添う」ことしか出来ない。

自分以上に相手が悲しんでいる姿を見ることが、自分自身を1番慰めてくれる時もあるというのに。

Wが「本当は抱きしめて欲しかった」と伝えた時にMが抱きしめようとしてWに拒まれるシーン。すれ違ってしまう2人にどうしても自分を投影してしまった。

 

その後別れた2人が再会して、Mにはフィアンセがいながらも子どもが出来てしまうという流れは、呆気に取られて観ていた。

さっきの涙返してくれない?

今後の身の振り方を迫られ、フィアンセと別れてWに結婚しようと言うM、クズじゃないかよおおお!と思いながらもそうするしかないよね…と納得したりして。

私にもMを1発殴らせろ。

Mが都度言っていた「僕たちはそれなりにいい人間」と言う言葉どおり、誰しもがまあまあいい人間で、そこそこクズなのかなと思った。

そして今現在いい人間でなくても、いい人間であろうとする事やいい親であろうとする事は出来るな、と感じる最後だった。

つづく…

https://e-ju-yel.hatenablog.com/entry/2021/11/10/134655

「ねむのきさん」のお話

神山智洋さん主演の舞台LUNGSを観る事が決まったあと、
LUNGSの演出をされる谷賢一さんの所属劇団劇団DULL-COLORED POPさんの『丘の上、ねむの木産婦人科』の公演情報をフォロワーさんにシェアして頂いた。

https://www.dcpop.org/vol23/

神ちゃんの舞台を観るにあたってなにかリンクする所もあるのかな〜という興味と谷賢一さんの作られるお芝居を見た事がなかったので観てみたくて、配信を観劇した。

内容はリンク先にも書かれているけれど、
街にひとつだけある産婦人科「ねむのきさん」に集まるいくつかのカップルのお話がオムニバス形式で描かれてる。

この作品を見て思う事が沢山あっていつか文章にまとめたいなと思ったまま、気づけば1ヶ月以上経ってしまった。

いよいよLUNGSの幕が開くということで、思い立ってこの文書を書いています。

以下、本当につらつらと感想、駄文ですみません……。
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私には子どもが2人居る。
だからこそ理解出来る、あるあるなエピソードも多くて今の私だからこそ見ていてここまでグッとくるのかも知れないなとも思った。

子どもを作ることは、夫婦になったら当たり前な出来事みたいなイメージがあるし、下世話な事柄も紐付けられてしまうこともあるからあまり詳細なことって語られない気がするのだけど、
実際結婚して、周りに結婚した人も多いと、ひとくちに「こどもを持つこと」「こづくり」と言っても千差万別、カップル毎にエピソードがあるのが痛いほど分かった。
そして、これには正解がない。
こうするのが正解、とかこの通りにしていればOKというのがないんだよな。どの道を選んでもそれなりにめんどくさい。
なんかそんな事を目の当たりにさせられる作品だった。

子どもを持つことってカップル2人にとっての事なのに何故か基本的に女性がメインになるよね。
どのエピソードも結構女の人が問題に対峙していて男性は他人事、もしくは女性の意思に従うのを是としている。
女性がパートナーと対話してぶつかって乗り越えていくパターンが多かった。
男の人ってなんでこんなにどこか他人事なんだろ…て我が家の事を振り返りながら考えたり、
でも女性だって、自分に降りかかる出来事以外には他人事なのかもしれないな…と省みたりした。
各エピソードで時々カップル以外の他者の声が現れるんだけど、その声は見当ハズレだったり本当に外野の言葉なんだよな…。

その中で反出生主義の女性が出て来るエピソードで男性が言った「分かり合えないかもしれないから話し合える」
というようなセリフ(うろ覚えなので違っていたらごめんなさい)を聞いて、納得した。
子どもを持つこと、持たないこと、産むこと、産まないこと、育てること、選択すべき時が来て初めて自分事になる。
そして相手と対話して行かなきゃならない。
「分かり合えない」ことや「分かり合える」ことを確かめるために話し合う事が必要なんだな……ってなんだか深くズシンと心に刻まれた。
多分これってこどもにまつわる事柄に限らず全てにおいてだよね、話し合わないで分かり合えたら良いけどそんなの無理だもんなあ…(遠い目)(はあめんどくさ)
そして対話するためには声をあげることが大事なんだよなあ。、第一声をあげないと対話も始まらないし理解し合うことも理解し合えないと気づく事も出来ない。(ますますめんどくさ)

いくつか心に残ったシーンはあるけれど一番心を抉られたのは不妊治療する高齢カップルの話。
我が家もなかなか授からないカップルだったので、あまりにも会話のひとつひとつが痛くて冷静に聞いていられなくてたまらない気持ちになった。
私も「なぜ子どもが欲しいのか」をしつこすぎるほど考えたなー(舞台のカップルほどの高度治療はしなかったけれど)。
彼女たちの話を見て、不妊治療中のモヤモヤしていた気持ちを思い出して苦い気持ちになった。そしてちゃんとセリフとして俳優さんに言葉にしてもらって救われた気がした!よかった。

そしてもうひとつ、現在から50年前と50年後、過去と未来のエピソードが印象に残ってる。
50年前のお話では、予定日を過ぎて陣痛が来ないなんて…とか、帝王切開なんてとんでもない、とか。今より「結婚=嫁ぐ」という意識も強かっただろうし当時の妊婦さんは過ごしづらかっただろうな…と苦しくなっちゃった。
とはいえ50年経った現在だって問題はいくらでもあって。
更に現在から50年経った未来、舞台では同性同士や1人で「子どもを持つ」ことの可能性を示唆する演出になっていて希望を感じた。妊娠の多様性、子どもを欲しい人が子どもを授かることができる未来になればいいな。けど、きっと50年後もきっと問題はある。
子どもを作るについてだけじゃなくて、いざ子供が出来てから産むまで、そして産まれてから育てる時も、問題は尽きないだろうな。
その時はまた問題に直面している人が声を上げて対話して乗り越えなくちゃならないな。

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数年前に子どもが産まれて、最近めっきりお芝居観に行けてなかったけど、面白いお芝居に出会えて良かった。多分10年前だったらあんまりピンと来なかった内容かもしれない。
欲を言えば同世代の人達、ママ友とか子持ちの人とこの作品を観て語り合いたかったんだよなあー。
そもそも観劇って敷居が高いし子持ちの人って更に観劇って難しいし、本当にこの作品が届いて欲しい(って勝手に私が思っちゃってるだけだけど)層に、演劇って届きにくいよなぁって寂しくなっちゃった。
それはこの作品に限ったことじゃないけど、子供ができてから観た数少ない観劇作品で「今出会えて良かった」って思えるものも多いから…。
もっと色んな世代、環境にいる人がお芝居見られるようになったらいいのになあ…話ズレましたぴえん。

さて、これを書いてる2021年11月2日現在、まだLUNGSが始まっていなくて(大阪公演は明日から!)、慌てて書いたので長文乱文失礼しました。
LUNGS、どんなお話かな、楽しみだな、思いを馳せながら。

おしまい。

「少年たち 格子無き牢獄」松竹座版を深読みする

ふぁーあ、少年たちの舞台、みんなででっかい画面で見れねえかなぁ〜。でもってアレコレやいのやいの言えねぇかなぁ〜。

少し前に『少年たち』を観てからひたすらずっと煩っていて、煩いついでに初めてブログ記事とやらを書いてみたりしたんだけど(前記事参照…)それでも飽き足らず結局3バージョン観て、ようやく落ち着いた。結論出た。

やっぱり松竹座版がいちばん好きなんだなあ。

これは、煩いまくったわたしによる『少年たち』松竹座版の感想追記風深読み記事です。

ちなみに『少年たち』とは、ジャニーズJrが出演するミュージカル作品。私が説明するのは野暮なので、ご興味ある方はこちらをどうぞ。

少年たち (ミュージカル) - Wikipedia

(本来は前回記事で説明するべきでした)(でもこの記事、誰が興味あるん?ていう気持ちで居たからいや今も居るから、誰も見ないような記事にご丁寧にリンク貼るのはどうなの?という気持ちもあり)(でももし興味持って見てくださった方が居たらその方には思いやりのない記事になるよなあと逡巡)

ちなみに私が観たのは円盤化されている

①『少年たち ~格子無き牢獄』 大阪ver.(2010)@松竹座(現在のジャニーズWESTの7人がそれぞれ囚人役で出演)

→ここで取り上げる「松竹座版」はコレ

②『少年たち 〜格子無き牢獄』東京ver. (2010)@日生劇場A.B.C-ZKis-My-Ft2が主演)
③『少年たち 〜Jail in the Sky』(2012)(A.B.C-ZとジャニーズWEST7人が主演)
の3つ。(映画版は未見。ここまで来たら映画版も見たい)

各バージョンで細かな設定や筋が若干違うのだけど、松竹座版は中でもだいぶ異端で。松竹座版から観た私は他バージョンを観て随分と面食らった。

1番大きく違ったのは明確な対立構造がないこと。他バージョンでは、囚人組/看守組、囚人組内での赤青チーム分けのように二項対立の形がある。でも松竹座版では囚人組の中でもチーム分けもないし濵田看守長のような非人道的な恐ろしい看守もいない(あれはあれで良いですよねぇ…恐怖…)。

囚人たちは皆、個であり仲間。更には看守もメインの一端を担っていて少年たちに寄り添う存在として描かれていたのが印象的だった。

そもそも、この「格子無き牢獄」という演目には先述の通り東京版と大阪版があり、細かい設定・演出などはそれぞれの出演者が意見を出し合い作っていったらしい。

これは憶測に過ぎないのだけれど、囚人・看守問わず皆それぞれライバル・仲間のような描き方は当時の関ジュの関係性を投影しているのかな。そう考えると腑に落ちるし、一層この作品が愛おしく思えて。

さて、私はこの作品でとても好きなシーンがあります。囚人、看守、名も無き少年たちが入れ替わり立ち替わり「なんで?」「なんで?」とモノローグを言っていくところ。
本編に直結はしてないんだけど象徴的なシーン。

「なんであの時父さんに優しくしてもらわれへんかったんやろ」
「なんでみんな笑うの」
「なんで1人で生きていかれへんねん」

と、葛藤を口々に叫ぶ。
次第にその葛藤が反抗心に変わり、少年たちが犯罪に手を染める過程が描かれる。
最初は「なんて泥臭いの…あんまり上手くないし…」なんて思った。私の想像する、きらきらして完成度の高いエンタメなジャニーズの舞台とは程遠くて(若干のアングラっぽさも感じた)。でも、決して上手くはないんだけどその青い感じに惹かれた、胸ぐらを掴まれてブンブン揺さぶられた。

『自分たちを取り巻いている現実や環境』に対して憤りや疑問を抱いている少年たち。

明確な対立関係は描かれていないと思っていたけどもしかしたら少年たちが相対していたのはこの『現実』なんだろうか……!

とにかく全編通して感じていたのは『全力で』『泥臭くて』『切実な』『少年期特有のギラギラした輝き』。

演技も発声も動きも、上手い人もいればいまいちな人もいるし、結構アラがあったり粗雑な感じもするんだけどそれが却って魅力になってる…!まとまってないんだけど個々がキラキラはじけていて、綺麗じゃないんだけど美しい。

(1番それを感じたのは神ちゃん。当時16歳?歌声は今に通じるツヤっとした声なのだけどセリフの発声がまだ粗い。でも耳に痛い声では決してなくて、若くて青い声だった。台詞回しも粗野なのに愛らしさが全然隠しきれていなくて惹かれちゃう。生きとし生ける全ての神山担に見て欲しい…多分皆地団駄踏むと思う…)

泥臭く全力投球という演技や演出も、当時の関ジュの雑草魂みたいな所とリンクするのかな〜なんて思ったら余計グッと来た。勿論会場である松竹座という劇場のサイズとか雰囲気、性格も関係しているとは思うけど。

この『少年たち』をきっかけに関ジュに勢いがついた、と言う話を耳にした。確かに凄くパワフルだった、混沌とした空気感がとても似合っていた。。。

少年たちは、日常に不満をぶつけお互いに喧嘩を繰り返す現状を打破すべく脱獄する。ナカマ曰く「今の俺らの現状」にケンカを売ったのだ。

この脱獄は結果としては失敗に終わるのだけど、現状の自分たちに対峙して脱獄した彼らと『少年たち』がきっかけで現状が変わった関ジュ、重なる部分がある…そんなことを深読みしてますますエモーショナルに感じられて……。

関ジュの頃のジャニーズWESTくんたちをあまり知らずにこの作品を観て勿論凄く楽しめたけれど、当時の彼らを知っていた状態で出会っていたら、また違う作品に思えたかもしれない。とにかく2010年当時の若く青い彼らがやる事に意味があり、あの時の彼らだからとても美しかったんだなあと感嘆した。

私はこういう演劇が好きだなー!好きなタイプの演劇作品に好きな人たちが出演する演目で出会えた事が嬉しかった。ジャニーズWESTと出会い巡り巡ってこの作品を観る事が出来て良かったなあ。

未だに余韻の中、またふとした時に、あのシーン良かったなとか思い出すんだろうな…。まだまだ話したい事はあるのだけど今回はここまで。ご清聴ありがとうございました!