LUNGSを観ながらいつかの私を見ていた①
あまりに圧倒された。
観劇前から「どうやら凄いらしい」という前情報を漏れ聞いていてそれなりに覚悟をして臨んだけれど、思っていない角度から刺さる事が多かった。100分を生き抜いた2人を見守りながら、私は自分の事を振り返る時間を過ごした。
観劇後、乱高下した気持ちを何件かTwitterに投稿したので、今回それをまとめるつもりでこの記事を書きはじめたんですが…書けども書けどもまとまらなくなってしまったので、これまでの投稿に追記するような形を取ろうと思います。
Twitterでの投稿はこんな感じ。
改めて読むと所々分かりにくいやら、まとまってないならでお恥ずかしい限りなんだけど、観劇直後のアッツアツな感想です。
🫁 #LUNGS 感想。あんまりネタバレない版(ちょっとはある)
— えーじゅ🍉 (@e_ju_yel) 2021年11月6日
とあるカップルの話のはずなのに様々なカップルの様々なパターンの子どもを持とうとする事にまつわる話に思えた。それくらい色んな事が起こった。
素舞台の中で男と女がとにかく話して話し合って触れ合って分かり合えたりすれ違ったり。
とにかくハイペースで濃密なやり取りを観ていたのでかなり疲弊した。
— えーじゅ🍉 (@e_ju_yel) 2021年11月6日
お互い理解し合う事ってこんなに疲れるの〜?!と体感させてもらった感じ。
ミニマルな舞台だからこそ神山くんと奥村さんの身体が大きく見えて、声やセリフがダイレクトにそして生々しく届いた。
会話のスピードがとても早いしとにかく何でもかんでも言葉にする2人なので、セリフを聞いてるうちに話の着地を見失ってしまったり、聞き逃したり、ほんまについて行くのがやっとだった。そしてかなり取りこぼしてると思う…!
— えーじゅ🍉 (@e_ju_yel) 2021年11月6日
私は妊娠出産を経験していることもあって、所々ビリビリ共感して泣いたり頷いたりしていました。
— えーじゅ🍉 (@e_ju_yel) 2021年11月6日
はあ、人間って最低で可愛いわ。
舞台の背景が希望の光が差しているように見えたり大きな壁に見えたりしてすごく良かった。
神山さん、奥村さんのおふたりが本当に信頼し合ってぶつかりあっている感じがしてとても良かった。
— えーじゅ🍉 (@e_ju_yel) 2021年11月6日
いいものを観させて頂きました。
🫁
これから数日かけてLUNGS関連ツイを辿って、しばらくは余韻に浸りたいな。。。
以下はネタバレ有りの内容⚠️
LUNGS 感想。
— えーじゅ🍉 (@e_ju_yel) 2021年11月7日
断片的でまとまっていません。 https://t.co/Df6UC2DwXK
恐らくこの舞台は観る人の性別、既婚未婚、子持ちか否か、親との関係などの環境などでも見方が全然違うだろうなと思う。
ちなみに私は既婚、経産婦です。
WとMのエピソードには共感するところや、私は違う考えだったなぁなんて思い返す事も多かった。
冒頭の痴話喧嘩。子どもが欲しいと言うMの気持ちは理解できるけれど、それよりもWが抱える不安感、人1人を育てる覚悟を持たなくてはいけない気の重さ、痛いほど分かるなあと感じた。
性差によって生じてる認識のズレをきちんと議論してる(喧嘩?夫婦漫才?)2人を見て圧倒されたけど好感が持てたし、すごく海外的だなと感じた。
日本人ってここまで突っ込んだ話をしない事が多い気がする。
そして子どもを持つことを躊躇っていたWが子作りに前向きになる些細なきっかけになるシーンが好きだった。
デート中に周りを見て、ベビーカー連れの人が多いと気づく一瞬。一方でMはショウウィンドウにうつる自分の顔を見て「ヒゲを生やそうかな」と呟いていた(後に生やしてて笑った)。
意識した途端、街にこどもや赤ちゃんが沢山いることに気付くんだよなあ。あとマタニティマークをつけてる人にも目がいくようになる。そして男性は見事に気付かない。その感じがリアルだった。
そして、流産してしまうシーンでは私は鬼のように泣いた。
私は流産の経験はないけれど、子どもを持つ選択をしてから授かるまでに少しだけ時間がかかった、不妊治療の経験者です。
私も結婚したら直ぐに子供を授かれるもんだと思って疑わなかった。
でも、現実は違ったなあー。
他の人たちが結婚してしばらくすると当然のように赤ちゃんが出来るのに(当時の私にはそう見えていた)、一方で私は、なかなか授からなくてお金を払って検査をし、仕事を早退して治療をし、体質改善を図ってヨガに通ったり。
LUNGSの2人ほどではないけれど、子どもを持つことについて夫と話し合ったり喧嘩になった事もしばしばだった。
この時覚えてるのは「あなたが赤ちゃんが欲しいなら頑張って赤ちゃん作ろう」というような事を言われた事だった。
嬉しい言葉なのかな…?
けれど私には、子どもを持つ選択の責任を丸投げされた言葉に思えてしんどかった。
私が諦めたら四方八方丸く収まるのか、私が子どもを持ちたいと思う事は我儘な事なんだろうか?どうして私は子どもが欲しいんだろう…と度々考えていた。
この、子どもを持ちたいと言う気持ちに2人の中でズレがあること、男側が寄り添うしかできないもどかしさがLUNGSでも度々描かれていて胸が苦しかった。
流産をしてしまったシーンでは、Wはまた好きな事が出来る、自由になった!と強がったあと孤独にその悲しみを抱え込む。
Mはきちんと寄り添おうとしているのは分かるんだけど、どうしても「寄り添う」ことしか出来ない。
自分以上に相手が悲しんでいる姿を見ることが、自分自身を1番慰めてくれる時もあるというのに。
Wが「本当は抱きしめて欲しかった」と伝えた時にMが抱きしめようとしてWに拒まれるシーン。すれ違ってしまう2人にどうしても自分を投影してしまった。
その後別れた2人が再会して、Mにはフィアンセがいながらも子どもが出来てしまうという流れは、呆気に取られて観ていた。
さっきの涙返してくれない?
今後の身の振り方を迫られ、フィアンセと別れてWに結婚しようと言うM、クズじゃないかよおおお!と思いながらもそうするしかないよね…と納得したりして。
私にもMを1発殴らせろ。
Mが都度言っていた「僕たちはそれなりにいい人間」と言う言葉どおり、誰しもがまあまあいい人間で、そこそこクズなのかなと思った。
そして今現在いい人間でなくても、いい人間であろうとする事やいい親であろうとする事は出来るな、と感じる最後だった。
つづく…